ブラーフミー数字とは
古代インドで用いられた数字で、
紀元前3世紀以前のものであり、現代のインド、
アラビア数字の直接の祖先である。ただし、概念的にはこうした後世の記数法とははっきりと区別される。何故なら
ゼロを用いた位取り記法ではなく、10の倍数(10、20、30など)ごとに別々の数字があったからである。100や1000を表す記号もあり、連結(
合字)されて200,300,200,3000などを表す記号となる。
1,2,3の起源は明らかである。それぞれ1本、2本、3本の横棒である。
アショーカ王の時代では
ローマ数字のように縦棒で表していた。しかし後に
漢数字のように横棒になった。最古の碑文では4は十字型の記号で表わされる。姉妹の文字体系である
カローシュティー文字が4をX字型の記号で表わしていたことを連想させる。その記号は4本の線、もしくは四方を表していると考えられる。しかし、ほかの数字は最古の碑文でも無意味な記号にしか見えない。それらもまたその数の線の集合で、
エジプトの
ヒエラティック、
デモティックの数字においてなされたのと同様な方法で
草書体に崩されたという考えがあるが、直接的な証拠はない。同様に、10の倍数を表す記号も互いに明確な関係があるわけではない。ただし、10,20,80,90は円に基づいていると思われる。
別の可能性として、
ギリシアのアッティカ式記数法のように頭音方式を用いた、カローシュティー文字のアルファベットに基づいたものがある。例として、4(
chatur)は早期は
円記号形(¥)で、カローシュティー文字の
chを表す文字によく似ている。同様に5(
panca)、6(
shat)、7(
sapta)、9(
nava)はカローシュティー文字の
p,
sh,
s,
nに似ている。しかし、発見された時期や記録の喪失に問題がある。数字すべての集合がアショーカ王の治世の後400年後の紀元1,2世紀まで揃っていない。数字がその
画線法や
アルファベットに由来するものか、それとも完全にオリジナルで考案されたものか、そのどちらであるかという明確な決め手はほとんどない。