信念と
知識の関係は捉えにくい。ある主張についての信念保持者たちは、典型的に「自分たちはその主張を知っている」と言う。たとえば、太陽は神だと信じている人たちは「自分らは太陽が神だということを知っている」と言うだろう。しかしながら、
哲学者たちは信念という用語と知識という用語を別の意味で使っている。
認識論は、知識と信念についての哲学的研究である。認識論にとっての主要問題の一つは、まさに「我々が知識を持つためには何が必要とされるか」ということだった。
プラトンの対話篇『テアイテトス』に由来する概念の影響下で、哲学は伝統的に知識のことを正当化された真なる信念と定義してきた。信念と知識の関係はどういうものかというと、それは、ある信念が真である場合であり、なおかつその信念を保持する者が、それが真であると信じるにたる正当化(合理的かつ必然的に説得的な主張または証拠または指導原理)を手にしている場合には、その信念は知識である、ということである。
偽である信念は、たとえそれが誠実なものであっても知識とはみなされない。よって、例えば「平らな地球」理論を支持する誠実な信念保持者は、地球は平らであるということを知らないということになる。同様に、誰も信じていない真理は知識ではない。それというのも、知識であるためにはそれを知っている誰かがいなければならないからである。