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「夫婦善哉」||ゲーム-LINK.com (05/25update)

夫婦善哉 wikipedia|無料辞書

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夫婦善哉(めおとぜんざい)
大阪法善寺の横にある店名。ぜんざい一人前を2つの椀で出すことから夫婦善哉という。明治創業時の店名は「お福」だった。
織田作之助が、上記の店や法善寺を舞台にした小説のタイトル。→夫婦善哉 (小説)
  ・上記を原作にした映画→夫婦善哉 (映画)
石川さゆりが1987年に発売した曲のタイトル。
朝日放送制作で放送されたトーク番組。本項で後述する。
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夫婦善哉』(めおとぜんざい)は、1955年6月13日から1975年9月27日までの20年間に渡り放送された朝日放送(ABC)制作の視聴者参加によるトーク番組である。1955年6月から1970年2月まではラジオで、1963年8月2日からはテレビ版が開始し、1975年3月まではTBS系列で、1975年4月のネットチェンジ以降はNET(現・テレビ朝日)系列で放送された。

◆ 番組概要
1955年6月13日、まだラジオでのみ放送を行っていたABCが当時人気の夫婦漫才コンビであるミヤコ蝶々南都雄二を司会に据えてスタート(当初の正式タイトルは「蝶々・雄二の夫婦善哉[外部リンク] - めおとぜんざい」)。素人の夫婦を毎回招き、蝶々・雄二の2人が結婚生活の極意や新婚時代のエピソードを絶妙な間で聞きだし、現在の「新婚さんいらっしゃい!」に繋がる夫婦対談番組の先駆的存在として人気を博す。

◇離婚しても名コンビ
この番組の開始当時、司会の蝶々・雄二もまた実際の夫婦であったが、1958年に雄二の不倫が元で離婚。しかし、その後もコンビで司会を続け、かえって自分たちの結婚生活での体験を素直に話すことができるようになったせいか、よりリアリティーのあるゲスト夫婦の体験談を聞き出しやすくなり、多くの視聴者の共感を得た。

◇闘病しながら司会した南都雄二
1967年に雄二が長年抱えていた糖尿病の症状が進行し、入退院を繰り返すようになり、他のレギュラーの仕事(「ハイ!土曜日です」(関西テレビ)等)をセーブするようになるが、「蝶々・雄二」のコンビの人気を全国的に不動なものとしてくれたこの番組に対する想いは強く、1972年夏に長期入院に入るまで司会を続けていた。

◇雄二の死と蝶々のピン司会
その後、雄二は番組に復帰することなく1973年に48歳の若さで逝去。長期入院時以降も暫くは「蝶々・雄二の夫婦善哉」という正式タイトル名の下で蝶々が一人で司会を担当していたが、彼の逝去に伴い、「ミヤコ蝶々の夫婦善哉」に改題され、その後も蝶々の一人司会のまま放送は続けられた。

◇番組の終了
1975年の大阪・東京間でのネット再編後は、再編前の日曜22時台の放送が困難となり、土曜22:30からの放送なった。そうした番組編成上の混乱や、番組の雰囲気が時代とそぐわなくなって来たとの理由も重なり、1975年9月を以ってラジオ時代を含む20年で終了した(NET系列でのテレビ放映はわずか半年間だった)。
なお、1987年には、リニューアル版としてABCラジオで桂春蝶上沼恵美子の司会コンビで新夫婦善哉がスタート。当時開場間もない、道頓堀・演芸の浪花座にて公開収録されていた。放送時間は日曜昼0時30分〜1時00分で同じABCテレビでは当時同0時45分より「新婚さんいらっしゃい!」を放送。15分間だけテレビとラジオ真裏同士で視聴者夫婦参加番組が放送されていた。

◆ 司会
・ミヤコ蝶々(開始から1975年9月27日まで)
・南都雄二(開始から1972年まで)

◆ スポンサー
・当初は小野薬品工業だったが、末期は永大産業が担当していた。

◆ 映画作品

◇ 蝶々・雄二の夫婦善哉
1965年6月27日東映系で公開。
・脚本:依田義賢
・監督:マキノ雅弘
  ・「原案」として、蝶々の名がクレジットされている。
  ・中田ダイマル・ラケットかしまし娘白木みのるといった、関西喜劇人が助演。
  ・内容は、蝶々・雄二扮する白玉ぜんざい屋夫婦の夫婦生活の話で、一見テレビ版とは関係無い様に見えるが、劇中でテレビ版が映し出されるシーンが有る(但し番組は新録で、スポンサーは小野薬品でなく架空会社)。

◆ 番組の変遷