明治2年(
1869年)、太政官に出仕し、大学中助教に就任。太政官制度の取調にあたった。神祇官神祇権大史・神祇大史・神祇大録・教部省教部大録を経て、明治11年(
1878年)、
東京大学講師と、修史館御用掛になる。翌明治12年、『
古事類苑』編纂に従事し、明治15年(
1882年)、東京大学教授・東京学士院会員となり、明治19年、
帝国大学法科兼文科大学教授に就任、併せて『古事類苑』編纂委員長となった。明治21年(
1888年)、
文学博士の学位を取得し、帝室制度取調掛に任命され、明治23年(
1890年)、
貴族院議員に勅選され、明治26年(
1893年)、法典調査会査定委員となった。明治27年(
1895年)、75歳で死去。正五位に叙された。墓は東京谷中の天王寺墓地。