唐代においても硯や墨の優劣について論じたという記録があるが、
南唐文化の影響を色濃く受けた
宋代以降に文房四宝が語られることが多くなった。硯は
端溪硯が最も有名であるが
歙州硯も同じくらい賞玩され、墨も
歙州に名工と評される
李超・
李廷珪父子が名を馳せ、
張谷もこの地に移ってきた。紙についても歙州にて
澄心堂紙という極めて良質の紙が産出された。宋初には硯・墨・紙について歙州は代表的な生産地となっていた。これは
南唐の国王である
李中主・
後主親子二代にわたる
工芸優遇政策によるところが大きい。工人に
官位を与え
俸禄を優遇したため、優秀な人材が集り、技術が高度化し優れた製品を継続的に生産できるようになったのである。